最澄は、京都と滋賀の間にそびえる比叡山に延暦寺を開いた偉いお坊さんです。
比叡山のふもとの近江の国に生まれ、13歳で出家して地域一番の国分寺に入りました。
当時のお坊さんは、国家試験に合格しなければなれない国家公務員のようなものでした。
最澄は猛勉強し、奈良の都の東大寺で国家試験を受けて合格しました。
その試験に合格してお坊さんになれる人は年に10人ほどしかいませんでした。
最澄は超エリートとして将来を約束されたのです。
それでも比叡山にこもって1人で修行に励み、やがて当時の天皇からも認められるようになりました。
中国に渡って本場の仏教を学ぶことを希望した最澄を、天皇は遣唐使として中国に行かせました。
中国に渡った最澄は、天台山に入り、「法華経」の教え、禅、戒律、密教まで仏教の全てを学びました。
1年後に帰国し、日本仏教の第一人者として認められ、比叡山に延暦寺を開きました。
中国で仏教の色々なジャンルを学び、先生になれるだけの知識を身につけた最澄のもとには修行者が全国から集まり、延暦寺は仏教の総合大学のようになりました。
日本で一番のお坊さんと言われても、決して威張らずに一生勉強を続けたのです。
そして、「比叡山で12年間学べば、誰でも仏になれる」と教えました。
日本の仏教は、この最澄の教えが主流になりました。