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子供の心を持ち、自然と書と歌を愛した良寛について

2021/09/12

誰からも親しみを込めて「良寛さん」とよばれるのは、江戸時代のお坊さん、良寛です。

越後国(今の新潟県)の村長の長男として生まれました。

長男は親のあとを継ぐのが当たり前の時代でしたが、良寛はのんびりした性格だったので村長の仕事は向いていませんでした。

両親に反対されましたが18歳で出家し、備中国(今の岡山県)の厳しい禅宗のお寺に入ります。

ようやく悟りを認められたときには33歳になっていました。

そして翌年、厳しかった先生が亡くなるときに「良寛よ、好きなように旅をするがいい」と言った言葉を受けて身一つの旅に出ます。

39歳のときに父の死を聞いて故郷に戻り、国上山という低い山の中腹に五合庵という小さな小屋を建てて、74歳で亡くなるまで清貧(貧しくとも清く正しいこと)の生活を送りました。

食べる物がなくなったら、ふもとに下りてお経を唱え、食べ物を分けてもらいました。

これを托鉢(たくはつ)といいます。

それ以外は五合庵で坐禅をし、書を書いたり詩や歌をよんだり、子供たちと遊んでのんびり毎日を過ごしました。

ある日、子供たちとかくれんぼをして遊んでいた良寛は、日が暮れて子供たちが帰ったことも知らず、翌朝までずっと隠れていたそうです。

先生の最後の言葉を大切に生きて、自然をこよなく愛し、自然に溶け込んでいました。

亡くなる直前に次のような歌をよみました。

形見とて 何かのこさむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉

この歌の意味は「ごらんのとおり、形見として残すものを私は何も持っていません。それでも春には花が咲きます。夏にはホトトギスがよい声で鳴きます。秋にはモミジの葉が美しく山々を染めます。それを私の形見だと思ってください」ということです。

心豊かな良寛さんらしい歌ですね。

 

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